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東京地方裁判所 平成元年(行ウ)36号 判決 1990年1月23日

主文

原告の被告山内重昭に対する訴えを却下する。

原告の被告小松崎軍次に対する請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは、東京都江東区に対し、連帯して金二六三〇万円及びこれに対する被告小松崎軍次については平成元年二月四日から、被告山内重昭については同月八日から、支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの連帯負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

(一) 原告は東京都江東区(以下、「江東区」という。)の住民である。

(二) 被告小松崎軍次(以下「被告小松崎」という。)は江東区の区長である。

(三) 被告山内重昭(以下「被告山内」という。)は江東区の都市整備部長である。

2  公金の支出

(一) 江東区は、都市再開発法に基づく市街地再開発事業として、区内の住吉、毛利地区を高度利用地区に指定してその容積率の制限を緩和し、同地区内の通称旧同潤会住利アパート(以下「住利アパート」という。)を取り壊してその敷地に二〇階建の居住用建物二棟を建築しようという構想の下に、住吉、毛利地区市街地再開発事業(以下「本件再開発事業」という。)を推進することとし、昭和六二年七月一〇日、本件再開発事業の基本計画の作成を、契約金額一三三〇万円、履行期限昭和六三年三月三一日の約定で専門業者に委託し、その後、右金額を支出した。

(二) 次いで、江東区は、昭和六三年八月一七日、本件再開発事業に伴う都市計画決定に要する図書の作成を、契約金額三〇〇万円、履行期限平成元年三月三一日の約定で専門業者に委託し、契約と同時に前払金として右契約金額の五〇パーセントを支出し、その後、残額を支出した。

(三) さらに、江東区は、本件再開発事業に関し、再開発コンサルタント派遣とか事務費とかいう名目で、約一〇〇〇万円を支出した。

3  支出の違法

(一) 江東区は、昭和六二年一二月二二日付け江東区報において、江東区の都市計画法に基づく用途地域等地域地区に関する都市計画の見直し素案を発表し、これをそのまま区案として昭和六三年二月二九日に東京都に提出したが、その内容は従来の指定をほとんど無修正で踏襲したものであった。しかし、右の区案の作成は、住民の意思を十分に反映させる手続をとらないで行われたもので、憲法の保障する地方自治の本旨に反し、公聴会の開催等を規定した都市計画法一六条に違反するものである。

このように、区全体の基本的な都市計画をおざなりにしておきながら、住吉、毛利地区についてだけ本件再開発事業を推進するのは、本末転倒であり、権限の濫用というべきである。また、都市再開発事業は都市計画の一部として行われるものであるから、右の区全体の都市計画決定手続の違法は本件再開発事業にも承継させるものである。

(二) 江東区は、本件再開発事業の基本計画作成に当たって、住吉、毛利地区の周辺地域においては、町会役員への説明会を行っただけで、広く住民の意見を反映させる手続をとらなかった。したがって、本件再開発事業の基本計画作成は、地方自治の本旨に反し、都市計画法一六条に違反する違憲、違法なものである。

また、基本計画作成に当たり、その作成を業者へ委託することが許されるのは形式的な部分だけであり、実質的部分は住民の意思に基づいて作成されるべきところ、本件の基本計画作成の委託は、実質的部分までも委託したものであるから、違法である。

(三) 住吉、毛利地区の権利関係者の中には、同地区内に住民登録を有せず、投資目的で複数の物件を所有していたり、所有物件を他に賃貸したりしている者が全体の約三分の一もおり、他方、居住者の多くを占めている高齢者は、現在の試算で三万円以上になる建替え後の建物の管理費の支払が困難であることから、入居後すぐ転売して転居することを考えている人が少なくないという状況にあるのであって、結局、江東区による本件再開発事業の推進は、既存の建物の無償での建替えという再開発予定地区内の権利関係者の営利事業を援助することにほかならず、何ら公益上の必要性は存しないものである。

(四) 以上、右(一)ないし(三)に述べたとおり、本件再開発事業の推進は権限の濫用であり、違法であるから、そのためにされた右2の(一)ないし(三)の公金の支出も違法なものである。

4  被告らの責任

被告小松崎は、江東区長として江東区行政の最高責任者であって、公金支出の権限を有し、被告山内は、江東区都市整備部長として江東区の都市計画行政の責任者であって、公金支出の権限を有するところ、被告らは、権限を濫用して違法に右2の(一)ないし(三)の公金の支出をした。

5  江東区の損害

江東区は、右2の(一)ないし(三)の公金の違法な支出により、その合計額二六三〇万円相当の損害を被った。

6  監査請求

原告は、昭和六三年一一月四日、江東区監査委員に対し、地方自治法二四二条に基づき本件に関し監査請求をしたところ、同監査委員は、原告の請求を容認できない旨の同年一二月二七日付け監査結果を同月二八日に原告に対して通知した。

7  原告は、右監査結果に不服があるので、地方自治法二四二条の二第一項四号に基づき、江東区に代位して、被告らに対し、連帯して右2の(一)ないし(三)の公金の違法な支出額に相当する二六三〇万円の損害金及びこれに対する被告小松崎軍次については本件支出の日以後の本訴状送達の日の翌日である平成元年二月四日から、被告山内重昭については右同様の日である同月八日から、それぞれ支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を江東区に支払うことを求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1(当事者)の事実は認める。

2  同2(公金の支出)の(一)、(二)のうち、原告主張の経緯で少なくとも原告主張の金額が支出されていることは認める。同(三)は、本件再開発事業に関し、再開発コンサルタント派遣経費として、昭和六一年度は二五一万二三二〇万円、昭和六二年度は二四七万六三四一円、昭和六三年度は二八〇万円がそれぞれ支出されていることは認め、その余は否認する。

3  同3(支出の違法)のうち、江東区が昭和六二年一二月二二日付け江東区報において用途地域等見直し江東区素案を発表し、これをそのまま区案として昭和六三年二月二九日に東京都に提出したことは認め、その余は争う。

4  同4(被告らの責任)のうち、被告らが原告主張の役職にあり、被告小松崎が同2(公金の支出)の(一)ないし(三)において問題とされている本件再開発事業に関する支出につき支出負担行為権限を有していたことは認めるが、右の支出が権限の濫用であることは争う。被告山内が右支出に関し財務会計上の権限を有していたことは否認する。

5  同5(江東区の損害)は争う。

6  同6(監査請求)の事実は認める。

7  同7は争う。

三  被告の主張(基本計画作成の経緯等)

1  住利アパートは、旧同潤会が建設した一七棟の三階建の区分所有建物であるが、建築後六〇年近くを経過し、老朽化が著しかったところ、昭和五七年ころ、住利アパートの住民らによって「建替準備委員会」が結成され、住利アパートの建替えが検討されるようになったので、江東区は再開発コンサルタントとして、まちづくり専門員を派遣するなどしてその相談、指導に務めたが、その結果、昭和六一年に住利アパートの関係権利者全員(二九四戸)の参加の下に、「住吉、毛利地区市街地再開発準備組合」が設立され、都市再開発法に基づく組合施行による第一種市街地再開発事業を施行することが計画された。

2  市街地再開発事業は、既存の生活環境を一変させ、複雑な権利関係を再調整するという極めて困難な事業であり、また、同時に都市の防災化、公共施設整備、土地の高度利用による市街地環境の改善と都市機能の更新等という公共的な性格を持つ都市計画事業であることから、本件のようにその調査、予測、立案等に関する専門知識を必ずしも備えているとはいえない地元権利者らによって事業が施行される場合には、地方公共団体による全般的な指導、助成が必要不可欠であるところ、これら地方公共団体による一連の指導の一環として作成されるのが基本計画である。

3  基本計画は、その作成が法により地方公共団体に義務づけられているものではなく、作成手続が法定されているわけでもないが、その目的には、地元権利者に対して事業の道標を示すということだけではなく、同時に地方公共団体において事業に対する指導、助成の方針を樹立するということも含まれており、その作成に関する費用については、地方公共団体が当該作業を外部に委託することを前提として、委託費用の三分の一を国が当該地方公共団体に補助することになっている。

4  江東区は、右1の準備組合の結成を受けて本件再開発事業の基本計画を作成することとし、その作成を専門業者に委託したもので、委託に係る基本計画の報告書は約定の期限どおり納品されて、昭和六三年五月一五日、右報告書に基づき本件再開発事業の基本計画が決定され、その後、右1の準備組合に対してその内容が説明され、同年七月三日、同準備組合の総会において当該計画に基づいて事業を進めることが了承された。

5  原告は、江東区が、本件再開発事業の基本計画作成に当たって、住吉、毛利地区の周辺地域において、広く住民の意見を反映させる手続をとらなかったと主張するが、右のとおり、江東区は、まちづくり専門員を本件再開発事業の対象区域に派遣するなどして全関係権利者の希望を調査し、それらを十分に採り入れて基本計画を作成したものであるから、右の主張は失当である。なお、仮に、原告の右主張が、市街地再開発事業の基本計画作成には、その対象区域外に居住する者を含めた地元住民の同意を得ることを必要とするという趣旨であるとすれば、そのように解すべき法的根拠はなく、主張自体失当である。

6  以上のとおりであるから、本件再開発事業に係る江東区の支出には何らの違法もない。

四  被告の主張に対する認否

争う。

第三  証拠<省略>

理由

一  本件訴えのうち、被告山内に対する訴えの適否について判断するに、地方自治法二四二条の二第一項四号にいう「当該職員」とは、問題とされている財務会計上の行為を行う権限を法令上本来的に有するとされている者及びその者から権限の委任を受けるなどして右権限を有するに至った者をいうと解されるところ、本件においては、被告山内が江東区都市整備部長であることは当事者間に争いがなく、同部長は、請求原因2(公金の支出)の(一)ないし(三)において問題とされている本件再開発事業に関する支出について財務会計上の行為を行う権限を法令上本来的に有しないことは明らかであり、また、権限委任等により右権限を有するに至ったと解すべき根拠もないから、同部長は右の「当該職員」に当たらないというべきである。したがって、本件訴えのうち、被告山内に対する部分は不適法である。

二  請求原因1(当事者)の(一)、(二)の事実、被告小松崎が同2(公金の支出)の(一)ないし(三)において問題とされている本件再開発事業に関する支出について支出負担行為権限を有していたこと、及び同6(監査請求)の事実は、いずれも当事者間に争いがない。

三  同2(公金の支出)の(一)、(二)のうち、原告主張の経緯で少なくとも原告主張の金額が支出されていることは当事者間に争いがない。

同(三)について判断するに、本件に関する監査請求が昭和六三年一一月四日にされていることは当事者間に争いがないから、原告の主張も同日から過去一年以内の支出を対象とする趣旨と解されるところ(地方自治法二四二条二項本文)、本件再開発事業に関し、再開発コンサルタント派遣経費として、昭和六二年度は二四七万六三四一円、昭和六三年度は二八〇万円がそれぞれ支出されていることは被告が自認するところであるが、昭和六三年一一月四日から過去一年以内に、右額以上の金額が支出されたことについてはこれを認めるに足りる証拠はないから、右(三)に係る本訴請求のうち右の被告の自認額を越える額に関する部分については、その余の点について判断するまでもなく理由がない。

そこで、以下、請求原因2の(一)、(二)の支出及び同(三)のうち右の被告の自認額の支出(以下、併せて「本件支出」という。)について判断する。

四  本件支出を違法とする原告の主張について

1  原告は、まず、本件再開発事業の基本計画作成に先立って行われた都市計画法に基づく用途地域等地域地区の見直しに関する江東区の作業が、住民の意見を十分に反映させる手続をとらないで行われたもので、憲法の保障する地方自治の本旨に反し、都市計画法一六条に違反する違憲、違法なものであったから、本件再開発事業の推進は権限の濫用となると主張している。

しかし、都市計画法一五条一項、同法施行令九条一項一号によれば、用途地域等の地域地区に関する都市計画の決定権限を有するのは本件では東京都知事であるところ、<証拠>によれば、右の江東区の見直し作業とは、昭和四四年六月一四日建設省都計発第七三号建設事務次官通達「都市計画法の施行について」に基づく都市計画の原案の作成作業にすぎないことが認められるから、それによって住民に何らかの法的効果を及ぼすといった性質のものではなく、右の作業に当たって住民の意見を聞く手続がとられなかったとしても、違法の問題を生じるとはいえない。

なお、地方公共団体の組織及び運営に関する事項は、地方自治の本旨に基づいて法律で定めるとした憲法九二条の規定は、地方自治の制度的保障を明らかにしたものであって、右規定によって地方公共団体のあらゆる活動について住民の意見を反映させる手続をとることが法的に要求されているものではないし、また、公聴会の開催等を規定した都市計画法一六条の規定も、都市計画の決定権者(本件では東京都知事)についての規定であって、この規定によって江東区が公聴会の開催を義務づけられているわけではないから、いずれも原告の主張の根拠となるものではない。

したがって、原告の主張は前提を欠き、失当である。

2  次に、原告は、本件再開発事業の基本計画は、その作成に当たり住民の意見を広く反映させる手続がとられておらず、また、計画の実質的部分までも業者に委託して行われたものであるから違法であると主張している。

しかし、江東区の本件再開発事業に関する基本計画の作成は、直接法律上の根拠を有するものではなく、<証拠>によれば、右1掲記の建設事務次官通達及び昭和四五年八月二九日建設省住街発第六三号建設省住宅局長通達「市街地再開発事業基本計画作成について」に基づくもので、組合施行による市街地再開発事業の指導、促進を目的とするものにすぎないことが認められるから、その作成により住民に何らかの法的効果を及ぼすといったものではないのであって、その作成作業を専門業者に委託したとしても、またその作成に当たり住民の意見を聞く手続がとられなかったとしても、違法の問題を生じるとはいえない。

また、右の基本計画の作成が地方自治の本旨や都市計画法一六条に違反するとの原告の主張がそれ自体失当であることは右1に判時したとおりである。

したがって、原告の右主張も失当である。

3  最後に、原告は、本件再開発事業は関係権利者の営利事業の援助にほかならず、公益上の必要性を欠くものであると主張している。

しかし、弁論の全趣旨によれば、本件再開発事業は、住吉、毛利地区にある住利アパートが建築後六〇年以上も経過して老朽化が著しく、都市における土地の合理的かつ健全な利用という観点から市街地再開発事業の対象とすることが望ましいと判断されたことから推進されることになったことが認められ、本件再開発事業は、都市再開発法の目的に沿うものというべく、これが公益上の必要性を欠くものであるとの原告の主張は理由がない。

なお、組合施行による市街地再開発事業は、生活環境の改善を求める住民の意欲を活用して事業を推進しようというものであるから、組合員となる当該区域の各住民が自己の利益を考えるのはいわば当然のことであり、仮に本件再開発事業の一部関係権利者に関し原告が請求原因3の(三)で主張するような事情があるとしても、その程度では市街地再開発事業の施行において一般的に生じ得る問題であるということができ、それが直ちに本件再開発事業の適法性を左右するものとはいえない。

五  以上によれば、本件訴えのうち、被告山内重昭に対する部分は不適法であるから却下し、被告小松崎軍次に対する請求は理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担につき行訴法七条、民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 鈴木康之 裁判官 石原直樹 裁判官 佐藤道明)

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